【富山の遺跡】縄文時代に古墳 歴史的に希少なスポットまとめ
どうも、編集長のサクラです。
突然ですがみなさんは、富山県の遺跡について興味がありますか?
えっ、興味がある?ふーん、そうなんですね。
実は富山県にはいくつも縄文時代からの遺跡があり、中には日本初の貴重な遺跡もあります。
そこで今回はそんな遺跡についてまとめてみましたので、何かの勉強などに役立ててください。
大境洞窟住居跡は、氷見市にある日本で初めて調査された洞窟遺跡です。
波浪の浸食により形成された自然洞窟と言われ、1918年に縄文時代から続く6層の住宅跡が発見されました。
多数の土器や石器が出土し、弥生時代を中心に20体以上の人骨も発見されています。
この発掘によって、縄文文化と弥生文化の新旧が明らかになったほか、弥生人骨の発見で、弥生期の抜歯の風習や顔面装飾の発見があるなど、国指定史跡となっています。
住居跡と書いてあったので、むかし誰かが住んでいたんですね。
ドラクエで洞窟に住んでいるといえば、ほぼ間違いなくモンスターです。エンカウントしないように注意しないと。
ちなみに近世までここに誰かが住んでいたというのならば今もここに住むことができるんじゃないかと思っています。
→【大境洞窟住居跡】氷見市にある日本初の貴重な遺跡に行ってきた
北代縄文広場は、国指定史跡となっている北代遺跡のあったところです。
北陸地方を代表する縄文時代中期(4,000年前)の集落遺跡で、北代縄文広場はその北代遺跡を復元した施設となっています。
土ぶき屋根で復元した竪穴住居5棟や、堀立柱建物1棟を含む集落を見ることができ、この土ぶき屋根の竪穴住居は全国でも珍しく一見の価値あり。
縄文館展示室で、出土品や竪穴住居での暮らしの様子を見た後は、縄文土器づくり・火おこしといった古代体験にチャレンジできます。
これだけ綺麗な施設ですが、入場は無料でした。
また広場の入口には資料館があり、富山県で発掘された土偶であったり、遺跡の説明などがあります。
よく学校の校外授業などにも利用されるようで、ぜひ家族で来てみてください。
→【北代縄文広場】歴史ある富山の縄文時代を体験してきた
小杉丸山遺跡は、飛鳥時代後期の瓦陶兼業窯(瓦と須恵器を焼いた窯)と工房及び工人の住居が発見された遺跡です。
この遺跡から出土した瓦が、高岡市伏木の越中国府推定地に近い御亭角廃寺跡からも出土しています。
当時は、瓦葺がほぼ寺院に限定されることから小杉丸山遺跡で生産されていた瓦が御亭角寺へ供給されていたと推測されます。
また「飛鳥工人の館」がガイダンス施設として隣接して、飛鳥時代後期の瓦や須恵器などが保存されています。
当時の窯業生産の全容を知ることができる全国的にも貴重な施設です。
縄文時代の遺跡はよく見れど、飛鳥時代ってなかなか珍しいですよね。てか飛鳥ってなんだろう。
→【小杉丸山遺跡】飛鳥時代の窯業生産がわかる貴重な施設に行ってきた
串田新遺跡は、大沢山と呼ばれる標高45mの独立丘陵にあり、縄文時代中後期の土器や古墳時代の古墳群、住居跡が発見された史跡です。
1949年に発掘調査が行われ、縄文時代中後期の指標となる「串田新式」と呼ばれる土器や石器が出土しました。
住居群と墳墓群がまとまって存在する遺跡は全国的にも貴重で1976年、国史跡に指定されました。
現在は公園として整備されており、芝生が張ってあります。またトイレや休憩所もあり、説明書も設置されています。
実際に行ってきたのですが、マジでなんもないんですよね。
ゴルフ禁止の看板もあって、これだけ気持ちがいい芝生だと、そりゃゴルフするじじいもでてくるでしょうに。
→【串田新遺跡】射水市の国史跡に指定された縄文時代住居跡
不動堂遺跡は、縄文時代の生活を学ぶことができる遺跡公園です。
朝日町不動堂地内の旧扇状地の末端に位置し、発掘調査から縄文時代中期の食糧貯蔵や加工用の深い穴、多量の土器や石器、21棟の竪穴式住居が掘り出され注目を集めました。
特に住居跡は東西17m、南北8mの日本最大級のもので集落の集会所のような公共性の建物として考えられています。
このことから縄文時代の集落構造や社会生活を探る上で貴重な遺跡として、国の指定史跡登録を受けました。
また、タイプの異なる3棟の住居跡を原寸大に復元して、縄文時代の生活を感じることができる公園として整備され、隣接する歴史公園や七重滝と合わせて楽しみながら学べる観光スポットとして人気です。
ぜひヒスイ海岸などとセットに訪れてみてください。
→【不動堂遺跡】朝日町の縄文時代にあった遺跡公園に行ってきた
桜町遺跡は、今から約8000年前の縄文時代早期から江戸時代までの長期にわたる遺跡であることがわかっています。
縄文時代を主とする舟岡地区の調査では、谷の中の川跡からは、土器や石製品とともに大量の加工材が良好な状態で発見されました。
なかでも、建築部材と考えられる加工は全国から注目を集めました。
このほか石斧柄や漆塗りの鉢などの木製品や木の実や動物の骨など、縄文人の暮らしを知ることができました。
また縄文ワンダーランドというアスレチックのようなものもあります。
あと縄文時代ではなくJOMON時代というのが小矢部らしいですね。
→【桜町JOMONパーク】小矢部の縄文時代にあった遺跡に行ってきた
高瀬遺跡公園は、水と緑に癒される広々とした美しい空間です。
天気の良い日には、園内の緑と青空に加え、背景に望める八乙女山とのコントラストは圧巻! 日常の喧騒から離れ、心が解き放たれるようです。
公園の周囲を流れる水路沿いには、季節ごとに菖蒲や水蓮が咲き誇り、訪れる人々の目を楽しませてくれます。
特に6月頃に咲く花菖蒲は見事で、多くの見学者で賑わいます。
また園内には南砺市埋蔵文化財センターもあり、この地の歴史に触れることもできます。
凛とした姿で咲く花菖蒲を愛でながら、園内のベンチに座ってのんびり過ごすのもいいですね。
ちなみに園内はパークゴルフ場にもなっていて、遺跡の中でゴルフとかすごいな。
→【高瀬遺跡公園】平安時代初期の遺跡がパットゴルフ場になっていた
じょうのま遺跡は、入善町にある平安時代前期の庄園の庄所とみられる遺跡です。
10数棟の掘立柱の建物跡と土師器や須恵器、木製品など貴重な物が出土し、海岸近くから「西庄」と墨で書かれた土器や木簡・風字硯・木でつくった馬形・田げた・六角柱の木杭などが掘り起こされています。
このことから東大寺領丈部庄に比定する説が有力となっています。
また鎌倉時代前期に属する建物や溝、土器や青磁・白磁といった宝物も出土しており、その規模も大きいことから国指定史跡となり遺跡公園として整備されています。
もう散歩コースって感じで何もありません。
→【じょうべのま遺跡】平安時代や鎌倉時代で出土した遺跡公園
本江遺跡は、魚津市にある縄文時代中期晩期と古墳時代初期の複合遺跡です。
1971年の発掘調査により発見され、縄文時代に関しては土器や石器が大量に出土し、古墳時代では竪穴住居跡三棟と豊富な土師器が数多く出土しました。
住居跡は平面形が五角形をした全国的にも珍しい形をしています。
内側の方形に掘り込んだ中心に炉があり、この村の中心のような住居と考えられています。
このことから貴重な遺跡として1972年県の指定史跡に登録されました。
むちゃくちゃ小さいので、本当にマニアックな方だけ行ってください。
→【本江遺跡】縄文時代と古墳時代の富山県指定史跡に行ってきた
柳田布尾山古墳は、全長107.5m、日本海側最大の前方後方墳です。
この古墳は地元研究者の踏査によって1998年に発見され、2001年に国指定史跡に指定された比較的新しい古墳です。
立地などを考慮すると周囲の海上勢力をおさえ、周辺集落を掌握していたこの地方の有力部族の首長たる人物が被葬者であると推定されています。
現在は、古墳公園として整備されており、駐車場や遊歩道などもあります。
古墳好きにはたまらないスポットとなっており、ここで散歩とかもいいですね。
→【柳田布尾山古墳】日本海側最大の前方後方墳に行ってきた
ということで、富山県にはたくさんの遺跡がありました。
てかそんな昔から人が住んでいたなんて驚きです。
また富山県には縄文時代などの遺跡だけでなく、お城や歴史的建造物などもたくさんありますので、ぜひこちらも参考にしてみてください。
→【富山のお城】城跡から城址公園までおすすめスポットまとめ