大地の救世主 椎名道三の伝説「十二貫野湖」
どうも、Toyama Media Creatorのサクラです。
新川育成牧場に行く途中に、「十二貫野湖」という湖があったので、立ち寄ってみることに。
しかし・・・そこには、とんでもない歴史があった。
なんだろう?ブラックバスでも釣れるのかしら?
ぼくはのほほんです。
てか、ただの湖のくせに、立派な石の看板作りやがって。
税金返せ!
駐車場は、もうとんでもないくらいドリフト練習されていました。
えっ?ここは教習所ですか?
はい。ヤンキーの教習所です。
十二貫野湖にまつわる看板があったので、読んでみることに。
なになに。
江戸時代後半、富山は毎年の洪水で田畑は荒れ、米や作物がとれなくなる大飢饉が発生した。
「土地を潤す用水をくれ!!」
そんな人々の強い願いに応えて立ち上がったのが、椎名道三さん(しいなどうさんさん)。
この椎名道三さんは、「用水づくりの天童」と呼ばれていた。
なんと彼は、17歳の頃に、用水工事で1つの村を救ったそうだ。
なんかすげーー奴でてきいたよ!お母さん!
そして、富山の大飢饉を救うべく、彼は「竜ノ口用水」というものを作った。
この石は、水が谷を越えるために、サイフォンの原理を応用し、低いところから高いところに水を流す。
工事の期間はわずか15ヶ月。
当時の技術では、驚くほどのハイスピードだった。
彼は、工事の長さを区切って班を作り、工事の速さを競争させた。
そして、仕事が早い班にはごほうびを与えたらしい。
つまり、マネージメントにも長けていたのだ!
富山市立博物館には、今もなお、道三が十二貫野用水の工事で使ったとされる望遠鏡や磁石盤などの測量器が保管されています。
なんやよおわからんけど、すごい歴史深いところに来てもうたでぇ・・・。
ぼくは、ボケることもできません。
でも、最後にこれだけは言わせてください。
みなさん
ここでドリフトの練習はやめましょう。