【富山出身の偉人たち】本当はすごい有名人たち11名をご紹介
どうも、編集長のサクラです。
突然ですが、富山出身の有名人ってみなさん知っていますか?
実際にGoogleで検索してみると、柴田理恵さんとか西村雅彦さんが出てきて、なんていうか、その、どう言ったらいいのか・・・アレですね。ただそれはテレビに出ているから知っているという、ほんの一部の有名人なんです。
そのため、今回はテレビにはあまり出ていないけど本当はすごい富山出身の有名人を11人紹介しようと思います。
基準は、全国もしくは世界規模に活躍した人達ね。
富山出身の芸能人やスポーツ選手はこちらにまとめています。
衆議院議員、実業家
1885年に富山県射水郡枇杷首村で生まれ、雄神小学校から高岡中学(現富山県立高岡高等学校)に進みます。
東京帝国大学で上京し、日本の警察官僚から政治家となり、読売新聞と日本テレビ初代社長となり、原子力委員会の初代委員長にも就任。
特に読売新聞社長時代は、大日本東京野球倶楽部(現讀賣巨人軍)を創設し、初代巨人軍オーナーとな理ました。
日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父とも呼ばれています。
漫画家
藤子・F・不二雄は富山県高岡市出身で、藤子不二雄Ⓐは氷見市出身。
国民的漫画を多数製作した二人の漫画家。
藤子不二雄Ⓐ(本名:安孫子 素雄)の代表作として、『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』『怪物くん』
藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)の代表作として、『ドラえもん』『パーマン』『キテレツ大百科』がある。
二人は「藤子不二雄」の合作ペンネームでプロ漫画家としての活動を始める。児童漫画の新時代を築き、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」と評されている。
ホテルニューオータニ創業者
富山県小矢部市出身で、貧農の家庭に長男として生まれ、31歳になるまで一家を養うために農家の小作として使われる生活を送っていました。
その後、東京ロール製作所を企業し太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称されました。
戦後の一時期は「日本の三大億万長者」と言われました。
そして、東京オリンピックの開催による東京の宿泊地不足に対してホテルニューオータニを建設。死期間際に、私財は富山県立大学の設立のため寄付しました。
清水建設創業者
1783年、現在の越中国婦負郡小羽村に生まれました。
江戸時代の大工棟梁で、1804年に江戸で大工として働きだし、のちの清水建設となります。
また、清水建設ではこの年を創業の年と定めている。江戸幕府の命により江戸城の修復を請け負います。
また、井伊直弼より、開港地・横浜の外国奉行所などの建設を請け負うなど、様々に活躍しました。
コクヨ創業者
1879年に富山県富山市で生まれる。
そして1905年、27歳で「黒田表紙店」を創業。
表紙の質の良さなどで販売を伸ばし、1917年「国の誉れとなるように」と「国誉(現在のコクヨ)」と商標を定めます。
現在、富山大学にある黒田講堂は黒田善太郎の寄贈によるものである。
博報堂創業者
1852年に富山県富山市で生まれる。
越中富山藩士で、維新時は官軍側で越後戦争に従軍。
のちに上京し、1895年、東京府日本橋本銀町に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を開業。
雑誌・新聞の出版広告を主とし、自らも「帝国少年議会議事録」という当時は奇抜であった賛成・反対に分かれて討論をする投稿雑誌を出版しました。
安田財閥創業者
1838年に富山県富山市で生まれる。
富山藩下級武士(足軽)として生まれ、1858年に奉公人として江戸に出ました。
最初は玩具屋、ついで鰹節兼両替商に勤めました。
やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立しました。
「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は彼の言葉とされている。
YKK創業者
富山県下新川郡下中島村住吉(現在の魚津市住吉)で生まれました。
魚津尋常高等小学校卒業後の1928年に上京。
古谷商店の社員を経て1934年にYKKの前身であるサンエス商会を設立し、ファスナーの生産を始めました。
以降、YKKを世界一の企業に育て上げます。
化学者
レーザーによりタンパク質を気化し、簡単に検出した功績により、2002年、ノーベル化学賞受賞を受賞した。
現在、島津製作所に働きながら、数々の大学教授を務め、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員にも任命されている。
生物学者
免疫グロブリンの特異な遺伝子構造を解明した功績により、1987年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
現在、マサチューセッツ工科大学教授を務める他、ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長、理研-MIT神経回路遺伝学研究センター長等も兼任している。
アニメ監督
富山県中新川郡上市町出身。
2006年に劇場アニメ『時をかける少女』を監督。
2009年には、夏の代名詞『サマーウォーズ』を公開し、またも高い評価と興業収入16.5億円のヒットを記録した。
2011年には、富山を舞台とした『おおかみこどもの雨と雪』を公開し、日本を代表する映画監督となった。
ということで、富山県には様々なビジネスで財をなした有名人たちがいました。
割と最近の人たちですが、歴史的に言えば富山藩主の前田利家や神保長職がいるのですが、いまいちピンと来ませんよね。
あと最後は、完全にわたしがアニメが大好きだから入れちゃいました。富山第一高等学校出身のサッカー日本代表の柳沢敦と悩んだんですが、まぁいいでしょう。あと、浅野総一郎も悩みましたね。
わたしも何か偉業を達成したときのために、サインだけはしっかり練習しておこうと思います。それではまた。
富山出身の芸能人やスポーツ選手はこちらにまとめています。