何もないという景色なのかもしれない「安田城跡」
どうも、Toyama Media Creatorのサクラです。
懲りもせず、富山の城跡にやってきました。
「城跡って、なんですか?」と聞かれると、
「城があった跡」としか言えないのですが、
ともかく、富山県には、城跡がたくさん存在します。
ということで、本日は、富山市にある「安田城跡」にやってきました。
情報によると、当時の形をほぼそのまま残す全国的にも貴重な城跡らしい。
だから、なんだっていう。
まぁ、絶対、何も目新しいモノはないと思いますが、行ってみますか。
まずは、安田城跡の周辺です。
城ということで、お堀がありました。
そして、この池の上に浮いているのは、睡蓮です。
その睡蓮は、5月中旬から9月下旬までの午前から午後2時まで開花しているみたいだ。
しかし、今回は、安田城跡を見に来たので、睡蓮は無視です。
てか、今、夕方だから咲いてないし。
そんな堀には、こんな看板が。
切実すぎる。
底なし沼か、サメに食われているかのような形相です。
こんな看板見せられちゃ、池に近づけないよ。
むしろ、今すぐ、看板の中の子どもに手を差し伸べてあげたい。
そんな安田城跡の簡単なマップがありました。
なんか周りは、池地獄ですね。
あんだけ切実な看板を掲げておいて、なんなんですかね。
こんだけ水たまりがあったら、殿様は、蚊に刺されまくりでしょう。
池に落ちないように気をつけながら、本丸へ。
まぁ、さすがに、本丸には何かあるんじゃないかな。
ど真ん中にガリガリ君の当たりとかが刺さってるに違いない。
それを引き抜いたとき、ぼくは勇者になれる。
そんな気がした。
さて、本丸に到着しました。
なんですかね、ここ。
もう、クソです。
「ただただ『何もない』が存在する」という宇宙のような場所です。
大きなプリンが作れそうな、くぼみです。
まぁ、予想通りの何もないですが、
何もない景色ではなく、何もないという景色なのかもしれません。
人間は、文明を手に入れ、パソコン、携帯、車など、多くのモノを手に入れてきました。
富・名声・栄誉。
あらゆる欲求が人間を支配し、
人間の文明を絶対視するところから、現在の経済社会が生まれ、
科学の発達至上主義や人間の絶対化が生まれ、
結果、貨幣や巨大なシステムが『権力』となり、人間はこれに従属することになってしまった。
しかし、同時に、多くのモノを失いました。
多くのコンピューターを用意しているのに、コミュニケーションはどんどん減っている。
たくさんの食べ物に恵まれても、栄養は少ない。
夫婦で稼いでも、離婚も増え、
家は良くなったが、家庭は壊れている。
ただ、忘れないでほしい。
愛するものと過ごす時間を、それは永遠には続かないのだ。
忘れないでほしい。
すぐそばにいる人を抱きしめることをあなたが与えることができるこの唯一の宝物には、1円もかからない。
愛し、話し、あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう。
人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない。
どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ。
そんな気がした城跡だった。
ちなみに、ここは
1585年に、豊臣秀吉が富山城に拠る佐々成政を征討するために出陣した富山の役の際に、
富山城攻めの本陣となった白鳥城の支城として、使われたお城らしい。
・・・へぇー。