【富山大空襲】あまり知られていないが国内最悪の破壊率だった
どうも、編集長のサクラです。
突然ですが、みなさんは富山大空襲をご存じだろうか?
富山大空襲とは、1945年8月1日から8月2日にかけてアメリカ軍が富山県富山市に対して行った空襲です。
その後、広島、長崎へ原子爆弾が投下され、富山大空襲の日から13日後に日本は終戦を迎えた。
富山市に投下された爆弾は、12740発。
目標区間は、現在の富山城址公園付近のエリア。
そして、このエリアの99.5%が焼失し、民家は100%破壊されました。
死者2737人、負傷者7900人、焼失家屋24914戸(市街地の99.5%)
これは、日本最大の破壊率となっています。
広島・長崎の原爆を除き,地方都市としては最大の被害。
ちなみに、焼失されなかったのは、現在の富山県庁や富山電気ビルなどのわずかな建造物。
また富山大空襲の前に、米軍がわざわざ富山市民に空襲を伝えるビラを空からバラまいていたのですが、ほとんど避難した人はいないと考えられています。
というのも、普段から国から「逃げずにとどまって消火せよ。」と言われていた結果、このような悲惨な結果になったのです。
もう一つの理由に、空軍創立記念日という理由で通常の2倍の焼夷弾が空襲したとも言われています。
意外と知られていませんが富山大空襲は、それはそれはひどい被害だったのです。
そして、今なお、富山大空襲の犠牲者や戦没者の鎮魂を祈る思いを込め、『北日本新聞納涼花火大会(富山会場)』が、毎年8月1日に開催されています。