【富山が発祥】実は富山発だったこと10選!食品・企業・名称など
どうも、サクラです
つい最近まで、ホタルイカの漁獲量は富山が日本一だと思っていたのですが、実は兵庫なんですね。
というわけで、「えっこれ富山だったの?」と驚くものを紹介していきたいと思います。
1972年に富山市の「城址大通り」を発端として、「暴走族」という名前が誕生し、全国へ広まりました。
80年代には、富山市の「堀川神泥麗羅(シンデレラ)」や「山室瑠死異涙(ルシイル)」、高岡市の「苦烈殴派闘羅(クレオパトラ)」など約20団体が活動していました。
ただ2020年においては、富山で見かけることはないですね。
あの教科書にも載っている米騒動は、1918年に富山県魚津町で始まりました。
お米を積んでいた十二(じゅうに)銀行は北陸銀行の前身でもあります。
これが全国に広まり、およそ100万人が参加する民衆運動へと発展したんですね。
お酒を飲んで車に乗れなくなった人の代わりに運転するサービスが富山発です。
これは1956年に着工した「黒部ダム」の工事で、飲み屋から建設現場の宿舎に帰る際に運転代行が行われるようになったと言われています。
まだ飲酒運転に厳しくない時代からあったんですね。
定置網漁は、網をしかけて魚がくるのを待ち、網に入ってきた魚をとる方法です。
富山湾では、およそ400年前の江戸時代に、ワラで作った網を用いる形で誕生しました。
今ではこの方法が世界にも広まっているんですね。
創業者である「平田修(ひらたおさむ)」が富山大学在学中の1987年に「富山大学トライ」を創業しました。
今では全国No.1の家庭教師派遣サービスです。
富山県民でも意外と知らない人は多いのではないでしょうか?
「ザ・ノース・フェイス」などを扱うスポーツ用品メーカーで、小矢部市に本店があります。
1964年東京オリンピックで日本選手が獲得した16個の金メダルのうち、12個がゴールドウイン着用の選手だったそうです。
これはまさにゴールドウィンですね。(金メダル・勝利)
江戸時代から昆布が多く消費されていた富山県で、魚を保存するための調理法として考案されました。
富山県の郷土料理となっており、スーパーでも売っています。
昆布の旨味が刺身に移ってマジでおいしくなるので、本当にみんな食べてほしい。
一般的には「置き薬」と言われていますが、「使用した金額を後払いする」というビジネスモデルの元祖とされています。
ちなみに置き薬は、およそ300年前、富山藩主の「前田正甫(まえだ まさとし)」が江戸城で腹痛に襲われた大名に常備していた薬を与え、全国の大名がその薬の販売を依頼したことで発祥したとされています。
1918年に水田の冬の活用法として日本初となるチューリップ栽培が始まりました。
砺波市で開催されるチューリップフェアは全国から人が来ますし、今では富山県の県花にもなっています。
チューリップテレビやチューリップ調剤など、いろんな会社の名前にもなるほど大好きです。
海洋深層水は、深さ200メートル以上の深海に分布する海水です。
急激に深くなる海の地形がコスト的に有利なため、1989年に富山県に研究施設が整備されたことによって、日本における海洋深層水の本格的な研究が始まりました。
また滑川市では世界初の海洋深層水体験施設がオープンしましたね。
まぁ発祥とかって正直言ったもん勝ちみたいなとこありますよね。
最終的には石碑を建てたら優勝みたいな。(諸説あり)