富山第一サッカー部の歴史は、長峰俊之部長とともにあった。
どうも、Toyama Media Creatorのサクラです。
富山第一サッカー部の歴史は、この人とともにあると言って過言ではない。
37年にわたり指導し、強豪校に育てた前監督の長峰俊之部長(60)だ。長く願い続けた決勝の舞台に至り、さらに新たな歴史を加えることはできるか。
「思い切ってプレーしてほしい」
決戦を前に、気負わず、イレブンを見つめている。
引用 「北日本新聞」
長峰部長は同校OBで、1976年に母校の保健体育講師となり、翌年、正教員に採用され監督に就任。
「遠征先へのバスの運転から雑用まで何でもこなした」と振り返る。
78、79回大会で4強入りを果たしたが、いずれも準決勝の壁に阻まれた。
「最初の年は国立の雰囲気に舞い上がった。2度目は落ち着いて戦えたが、力が及ばなかった」
教え子の大塚一朗監督にバトンタッチし、部長に就いたのは一昨年。
部長として2度目となる今大会で、再び準決勝の壁に挑んだ。PK戦を制した11日の四日市中央工(三重)戦後、その姿は選手たちの歓喜の輪の中にあった。
通学生しか入部を認めない学校の方針で、地元選手による強化に力を注いできた。
イレブンの中には小中学生時代、富山一OBの指導を受けてきた選手も数多い。
「県内の指導者が連携し、一人一人の素質を引き出せば強くなる。やってきたことは間違いではなかった」と力を込める。
3月末に教員として定年を迎える長峰部長に対し、主将の大塚翔選手(3年)はこんな思いを抱いている。
「チームのことを一番考え、理解してくれている。日本一になって必ず胴上げする」
引用 「北日本新聞」