なぜ富山県は昆布が獲れないのに消費量日本一になったのか?簡単解説
どうも、サクラです。
突然ですが皆さんは昆布が好きですか?
私はというと、その、アレです。わざわざ昆布だけをムシャムシャ食べるほどではないです。
そんな昆布ですが、なぜか富山県あh昆布が採れるわけじゃないのに消費量が日本一なのを知っていますか?
そこで今回は、その理由について解説していきたいと思います。
まず昆布の水揚げ量ですが、北海道がシェア約95%とほぼ独占しています。
養殖を入れると岩手県がシェア2割となるのですが、どちらにせよ北海道と岩手で独占している状態です。
そんな産地から遠く離れた富山県で、なぜ昆布好きが増えたかというと、答えは売薬商人の命がけの商売にありました。
まず江戸時代から明治時代にかけて日本海では北前船(きたまえぶね)というモノを売ったり買ったりしていた船がありました。
その経路は、日本海と瀬戸内海を通じ、北海道から大阪までを結んでいました。
そのため、北海道の昆布やニシンを大阪に、大阪の米、酒、塩などを東北や北海道に運んでいました。
そんな北前船が途中で寄っていた港が富山市の岩瀬や水橋だったのです。
しかし多くの人はここで疑問を持つはずです。
なぜ富山県だけが昆布を消費するようになったのかと。
立ち寄った港は他にもたくさんありますが、富山にだけ昆布が多く入るようになったのは、売薬商人と薩摩藩と特別な関係があったからです。
当時の薩摩藩は、琉球(沖縄)を通じて今の中国である清国と密貿易で巨大な富を得ていました。
そんな莫大な力を持っている薩摩藩は、富山の売薬商人に、清国が欲しがっている昆布を調達することを求めたのです。
売薬商人もこれに応じ、昆布と引き換えに薩摩藩が清国から密輸入した漢方薬の原料を仕入れました。
こうして富山の北前船が取り扱う昆布の量が増えたことが、富山の昆布消費量が増えたことに繋がったのです。
当時、密貿易品の取り扱いは1つ間違えば命が落とされるほど危険な仕事でした。
しかし薬の原料を安定して供給するために、売薬商人たちは命がけで昆布を仕入れては漢方薬と取引していたんですね。
ちなみに北海道から中国へと昆布が運ばれた経路を「昆布ロード」といい、そこには独自の食文化が生まれました。
逆に関東地方で昆布の消費が少ないのは、北前船によって昆布が運ばれにくかったからだと言えます。