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10万石の富山藩がなぜ江戸藩に多大な地下室をもっていたのか

どうも、Toyama Media Creatorのサクラです。


突然ですが、みなさんは江戸時代に富山藩があったことをご存知ですか?

富山県の藩主はずっと、前田氏で拠点は富山城でした。


そんな富山藩ですが、最近、東京にある富山藩の江戸藩邸に、100を超す地下室があったことが分かりました。

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このことがなぜニュースになるかというと、

富山藩は、約10万石。

たかだか、これだけの規模の富山藩になぜこれだけの数の地下室があったのか?


これがすごい謎になっているのです。

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ちなみに、1万石の大名というのは、1万石の収入があると同時に、合戦があった時に1万石相当の兵を派遣する能力の事になります。


当時江戸の町では、物置や火災時のシェルター用に地下室が掘られていたが、東京大埋蔵文化財調査室の追川吉生助手は

「他藩の江戸藩邸と比べて多く、10万石の富山藩がなぜこれだけの数の地下室を造ったのか不思議だ」と話す。


陶磁器なども多数出土しており、東京大は地下室の用途をはじめとする藩邸での暮らしぶりや江戸での役割などを明らかするため、新年度から富山市埋蔵文化財センターと共同研究を進めるみたいだ。

出土品の研究には国元である富山の史料との突き合わせが欠かせないことから、富山市埋蔵文化財センターと共同で研究する。

越中売薬の基礎を築いた2代藩主、前田正甫(まさとし)や本草学の研究者だった10代藩主、利保らが住んだことから土壌の分析も行い、江戸藩邸での薬草庭園の存在も調べるという。


これは面白い発見が生まれそうですね。

まさか富山県がそんなに東京に癒着していたとは・・・。

この記事の著者

SAKURA右足のくるぶし

1988年生まれ。
おっぱいが大好き。
ふざけた文体が目につきますが、本人はいたってふざけております。
成功の反対は失敗ではない。挑戦しなかったことである。

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