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黒部ダムの歴史知ってる?戦後最大の過酷な現場だった

どうも、編集長のサクラです。


富山県といえば「黒部ダム」

日本を代表する日本最大のダムであり、今では立派な観光地となっています。

しかし、わたしはここである疑問が浮かび上がりました。




みんな黒部ダムのことどれくらい知ってるの?


これです。

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かくいう私も、黒部ダムに行ってきたことがあるのですが、その中身はさっぱり。

それどころか「あそこの上から放尿したら、気持ちが良さそうだな。」という、人間の底辺にもあたるような発言をしていたほどです。


ということで、今回はそんな反省もふまえて、黒部ダムの歴史についてまとめてみたいと思います。

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1. 戦後の関西の電力不足


第二次世界大戦後の昭和31年、関西では高度経済成長を迎えることとなった。

しかし、高度経済成長期を迎えると電力が慢性的に不足し、関西地方では停電が頻発した。

そこで立ち上がったのが関西電力。


すぐさま大手建設業者を5社呼び出し、ダム建設の話を持ちかけた。


2. 断崖絶壁だが大量の電力


黒部にある立山には、水力発電に必要な雪解け水が大量にある。

さらに、急斜面の多く、水の確保にはもってこいの場所だった。


しかし、断崖絶壁で気候の変動も過酷なだったため、何度もダム工事が失敗した場所でもあった。


3. 資材の運搬方法


ダム建設に必要な資材は、甲子園6杯分。

しかし、黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地である。

そのために、長野県側からトンネルを掘っていたが、それでは間に合わない。

そう感じた監督は、ブルドーザーで雪山にのぼり、そこから荷物を雪で滑らせて運搬するという方法を考えた。


さすがにみんな、あっけにとられたという。


4. 過酷な冬の到来


黒部にもいよいよ冬が来た。

しかし、建設現場は雪で覆われ5ヶ月閉ざされた場所となる。

外は、零下20度。

あまりに食料がなく、池にいたカエルを取って焼いて食べたこともあったという。


作業は、命がけだった。


5. 数々の事故


死亡者を出さないようにしていたが、工事現場に雪崩が襲いかかり、死者が出てしまった。

続いて、掘っていた長野県側の大町トンネル。

その破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出た。


作業は難航を極めた。


6. 長い年月をかけて完成


そして、長い年月をかけて、ようやく黒部ダムが完成した。

その期間は7年。

総工費は建設当時の費用で513億円。

これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。

作業員延べ人数は1000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる労働災害による殉職者は171人。


そこには命がけで働いた人たちがいた。


7. プロローグ


社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトは、数々の犠牲の上に完成した。

関西地方への電力供給は無事供給され、今では多くの観光客が訪れる場所となりました。


それでは、最後に黒部ダムの雑学を言います。

黒部ダムは・・・。






黒部市ではなく・・・立山町にある。


現場からは以上です。

この記事の著者

SAKURA右足のくるぶし

1988年生まれ。
おっぱいが大好き。
ふざけた文体が目につきますが、本人はいたってふざけております。
成功の反対は失敗ではない。挑戦しなかったことである。

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