黒部ダムの歴史知ってる?戦後最大の過酷な現場だった
どうも、編集長のサクラです。
富山県といえば「黒部ダム」日本を代表する日本最大のダムであり、今では立派な観光地となっています。しかし、わたしはここである疑問が浮かび上がりました。
みんな黒部ダムのことどれくらい知ってるの?
これです。
かくいう私も黒部ダムに行ってきたことがあるのですが、その中身はさっぱり。それどころか「あそこの上から放尿したら、気持ちが良さそうだな。」という、人間の底辺にもあたるような発言をして、実際に数字で比較してみたほどです。
ということで今回はそんな反省もふまえて、黒部ダムの歴史についてまとめてみたいと思います。
出典は、『プロジェクトX 挑戦者たち シリーズ黒四ダム』と『ブラタモリ 黒部ダム』から持ってきています。
第二次世界大戦後の昭和31年、関西では高度経済成長を迎えることとなりました。
しかし高度経済成長期を迎えると電力が慢性的に不足し、関西地方では停電が頻発した。
そこで立ち上がったのが関西電力。すぐさま大手建設業者を5社呼び出し、ダム建設の話を持ちかけた。
黒部にある立山には、水力発電に必要な雪解け水が大量にあります。
さらに急斜面の多く、水の確保にはもってこいの場所でした。
しかし、断崖絶壁で気候の変動も過酷なだったため何度もダム工事が失敗した場所でもあったのです。
ダム建設に必要な資材は、甲子園6杯分。
しかし黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であります。そのために長野県側からトンネルを掘っていたが、それでは間に合いません。
そう感じた監督はブルドーザーで雪山にのぼり、そこから荷物を雪で滑らせて運搬するという方法を考ましt。さすがにみんな、あっけにとられたという。
黒部にもいよいよ冬が来ました。しかし、建設現場は雪で覆われ5ヶ月閉ざされた場所となります。
外は零下20度。あまりに食料がなく、池にいたカエルを取って焼いて食べたこともあったという。
作業は命がけでした。
死亡者を出さないようにしていたが、工事現場に雪崩が襲いかかりついに死者が出てしまいました。
続いて掘っていた長野県側の大町トンネル。その破砕帯から大量の冷水が噴出し死者が多数出ましt。作業は難航を極めた。
そして長い年月をかけて、ようやく黒部ダムが完成した。
その期間は7年。
総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる労働災害による殉職者は171人。そこには命がけで働いた人たちがいました。
社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトは、数々の犠牲の上に完成しました。
関西地方への電力供給は無事供給され、今では多くの観光客が訪れる場所となりました。
それでは、最後に黒部ダムの雑学を言います。
黒部ダムは・・・。
黒部市ではなく・・・立山町にある。
現場からは以上です。
→一度は行きたい!立山黒部アルペンルートに行ってきた
→【面白検証】黒部ダム放水量と人間のを比較してみた